明日をつくるつながり|淡路島
ハタラボ島協同組合 高木恵美さん

FEATURE | 明日をつくるつながり | 淡路島

ハタラボ島協同組合
高木恵美さん


時代の最先端のことを地方で学ぶ。機会を求めて淡路島へ

「こんなに美しい夕陽を見たのはいつ以来だろう」「谷に広がる棚田の風景が素晴らしくて」。淡路島を訪れた人たちからは、感動の言葉が自然と湧き起こります。海と山と空。ダイナミックな風景は、島を東西に隔てているわずか標高400メートルに満たない山なみが生み出しています。

 北淡インターチェンジを降りて、山の方へ車で10分ほど。稜線の間を縫うように走る山道を登っていくと、旧・生穂第二小学校が見えてきます。
 そこは、かつては「淡路はたらくカタチ研究島」の、現在は「ハタラボ島協同組合」の大切な拠点、「ノマド村」と呼ばれるコワーキングスペースとカフェでした。

 出迎えてくれたのは高木恵美さん。横浜市出身で、2015年に島へ移住。現在は、富田さんや、やまぐちさんとともに、ハタラボ島協同組合とノマド村の運営者として活躍しているそうです。
 ITと建築というバックボーンを持つ高木さんですが、どのようにして島に来ることになったのでしょうか。
「きっかけは、2014年に『淡路はたらくカタチ研究島』のワークショップに参加したことでした。当時は香川県に住んでいて、淡路島に友達がいたので遊びに来たときに、たまたまチラシを見つけたのです」

 どれも「仕事」をテーマにした研修なのですが、講師の方々がファシリテーターやシードバンクで在来種を守る活動をされている方、発酵デザイナーなど、興味のある分野で活躍されている方ばかり。毎回の講義が楽しくて研修を受けに島に通うようになりました。

横浜、大阪、東京、香川、淡路島と働き方と住まいを変えてきた高木さん。

女性ならではのライフステージの変化を、むしろ楽しむという発想

 もともとは独立して設計事務所の開業を夢見ていた高木さん。
内装設計の会社から少人数の設計事務所に転職しましたが、事務所に泊まりこむ日々もあり、将来的にこの仕事をずっと続けていけるのか、自信がなくなってしまったそうです。
 その時に、友人から誘われた転職先が、東京のIT企業。そこで、Webサイト構築のいろはを知ることになりました。努力を続けて、最終的にはディレクターとなり、かなり大きな企業のサイト構築と運営を担当していたそうです。
 では、その後なぜ香川県に移り住むことになったのでしょうか。

「転機は結婚でした。夫が海外勤務から帰ってきて日本で働き始めた場所が香川だったのです。それにともない、私も仕事を辞めて高松市内に引っ越しました。はじめは高松の商店街の近くに住んでいましたが、自然豊かな場所に住みたいという願望があったので、子どもが産まれる直前に郊外の田んぼの中にある家に引っ越しました」

 都会での暮らしから一転して、田舎暮らしをすることになった高木さん。しかし、満喫する前に、出産と子育ての時期に入ったといいます。

「子育て期間中も、田舎暮らしは満喫しました。でも、子どもの手が離れ始めたら保育所に預けて働きたいと考えていました」

ノマド村で定期的に開かれているアーティストの作品展示。高木さんが解説と案内をしてくれた。

 それは2011年のことでした。東日本大震災があった年です。高松市内にも、東北地方や関東地方からの移住者が増えていきました。
 すっかり田舎暮らしに慣れ始めていた高木さんは、移住者のつながりの中で、都会から持ち込まれたある概念と出会います。
 それは、自主保育という考え方。
「畑を耕したり、海で魚や貝を採るなど、野外で遊びながら子どもも大人も楽しむ活動を週に2回始めました。火や水など自然そのものと触れあうことは教育にも良いですし、何より私自身が楽しい。素晴らしいものと出会えたと感動しました」

 人間だからこそ、自然と触れ合い、楽しむことがもっともっと必要ではないか。そう考えた高木さんは、友人が始めた自主保育サークルを引継いで活動を続け、その後、そこで出会った仲間たちと自然保育の無認可保育施設「こどもえんあさの実」を立ち上げたのでした。
 淡路島に通い始めたのも、ちょうどこの頃のことでした。

「ハタラボ島協同組合」を生んだ原動力は、一人の参加者の思いだった

 香川で自主保育サークルと無認可保育施設を立ち上げた経験は、高木さんを淡路島に移住するきっかけをつくってくれたそうです。

「まだ引っ越すとは決めていない時に、何万坪も敷地を保有している、とあるペンションのオーナーさんと出会いました。その方は、保有している森を子どもたちの遊ぶ場所にしたいという思いを持っており、保育士さんを探していました」

 それから3か月。島に移住してきた高木さんは、淡路島で「森のようちえん まんまるin淡路島マンモス」をオーナーさんのご家族と保育士の友人とともに立ち上げました。

 しかし、充実感に浸っている暇はなかったといいます。理由は、さまざまな出会いと学びをくれた「淡路はたらくカタチ研究島」が期間を終えて終了するからでした。

「退職後も仕事をしていた東京のIT企業から、ちょうどこの時に『新入社員研修を淡路島でできないか』と相談を受けていました。これは、まさに富田さんの得意分野。そこで富田さんに研修の相談をしていたのですが、その打ち合わせを進めている矢先に『淡路はたらくカタチ研究島』が終わることを知りました」
 日を追うごとに強くなる「なんとか、つながりだけでも残したい」という思い。高木さんは、自らの気持ちを富田さんや周囲の人たちに伝え続けたそうです。

 その思いを知ったコアメンバーたちは、「淡路はたらくカタチ研究島」を残していくことを決意します。そして、「ハタラボ島協同組合」が生まれたのでした。

この暖炉を囲んでさまざまな「人と人をつなぐ」会話が行われてきた。

茂木夫妻がつくってきた空間を引き継いで今も進化し続けているノマド村。

「今、言葉にできない未来を創造する」ということを、仲間とともに

「淡路はたらくカタチ研究島」の活動で、高木さんの心に最も残っているもの。それは、「働くを見つける」というテーマで行われた研修です。淡路の旅館に泊まり込みながら、自分の内から出てくる言葉、そして相手から出てくる言葉に耳を傾け、「働く」ことをじっくり見つめなおす内容でした。
 この研修には、「ハタラボ島協同組合」のコアメンバーが、ほとんど参加していたそうです。

「この研修を一緒に受けた仲間に会うと、共通言語を持っていると感じます。実際に『ハタラボ島協同組合』をつくるときも、この研修を生かして『今、言葉にできない未来を創造する』というキーワードを設定しました」

 いま「それ」を言葉にはできないけれども、「それ」は確実に存在している。最新のアウトプット手法を用いながら、じっくりと「それ」をカタチにしていこう。
「0から1を生み出すようなプロジェクトが多いのは、このキーワードが、私たちのコンセプトになっているからでしょうね」と笑う高木さん。
 実際に、「ハタラボ島協同組合」の活動を始めてからは、それまでとは働き方が変わってきているそうです。

「以前は、『仕事はお金を稼ぐためのもの』という概念が根底にありました。しかし、『ハタラボ島協同組合』では、仲間たちとゼロから作り上げていく『それ』を見つけることが最優先。ですから、ニーズや予算よりも、自分の内なる部分から出てきた思いが優先されます。ITやWebは目的ではなく手段。そう思ってからは、仕事の進め方が変わってきましたし、こちらの活動が優先になり始めています」

 せっかくたくさんの仲間がいるんだから。
 仲間とともに働ける環境を手に入れた高木さんは、「悩みを自分ごとにしないようになった」と話してくれました。
 あえて完結させずに仲間から意見を聞く。そうすることで、想像以上のものができていく。そのプロセスが、楽しくてたまらないのです。

 最後にさまざまなところに住み、多くの職種を経験してきた高木さんに、「働くことで悩んだことはないですか」と質問してみました。

「さまざまな悩みはありましたが、結局のところ、『私』の最大の理解者は、『私』なんです。だから、自分の気持ちを一番大切にしてあげることで乗り越えてきました。たとえ、それが実現できなくても、『あ、私はそう考えているんだ』と理解してあげるだけで、身も心もふっとラクになります」

「私もまだまだですけどね」と笑顔の高木さん。
そうか、「移住」とは住む場所を変えることではなく、「働き方に合った適切な場所に移動していくこと」もあるのだと気付かされました。


■ 高木恵美(たかぎ・えみ)

1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後、6年間内装設計事務所に勤務したのちIT会社へ転職、ウェブ企画・ディレクションを担当する。2010年、結婚を機に香川へ移住。フリーランスでウェブ制作を始める。2011年、自主保育サークルに出会い、子どもたちと自然の中で過ごす豊かさを体感し、こどもえん立ち上げに携わる。2015年より淡路島に移住し「森のようちえんまんまるin淡路島マンモス」を友人と始める。2016年にハタラボ島協同組合を立ち上げる。

「これからは、教育や環境について働く場をつくりたい」と話す、高木さん。

バックナンバー

国分寺 石巻