明日をつくるつながり|淡路島
北坂養鶏場 北坂勝さん

FEATURE | 明日をつくるつながり | 淡路島

北坂養鶏場
北坂勝さん


養鶏場に大きな変化をもたらした、デザインとの出会い

「あ、まだ温かい」。手の平に伝わってくる、生き物が持つ温かさ。北坂養鶏場の販売所では、鶏たちが飼われていて、毎日、卵を産んでいます。遊びに行った人は、巣箱の中で雌鶏が温めた卵を採ることができるのです。
 いつ、どこのスーパーでも買える卵。つい、家で料理をする時も気軽に扱ってしまいますが、その卵は親鶏が産み出した世界でひとつしかない大切なものだと気付かされます。

 高速道路の北淡インターチェンジを降りて、車で畑の間のやや狭い道を数分行くと、コンテナを改造してつくった北坂養鶏場の販売所が見えてきます。設計は、「シマトワークス」の富田さんによるもの。島内の人と人がつながり、価値観を生み出している姿に早速出会うことができました。
 外観を眺めていると、向こうから手を振る男の人が。養鶏家の北坂勝さんです。

「父が養鶏業を始めたので、私で2代目です。いまでこそ楽しんでいますが、若い頃は、『なぜ、こんなことをやっているのだろう』『いつまで、これをやるんだろう』とばかり思っていました」

 来る日も来る日も、鶏の世話、糞の掃除、卵の発送。あまりにも変化がないと感じていた日々を変えたのは、一人のデザイナーだったそうです。

 時代はSNSが登場し始めた頃。楽しくなくても、家業なので売上を伸ばしていかなければなりません。そのためには情報発信だ。分かってはいたものの、インターネットは遊びや調べもの程度しか使ったことがなく、何をどうすれば家業を世間に広めていけるのか皆目見当も付かなかったそうです。
 思い切って看板屋さんに相談したところ、「息子はどうだ」と紹介されました。以後、北坂さんの活動を支えていくデザイナーの森さんでした。

 ロゴ、名刺、リーフレット。販売に必要なあらゆるものを、ブランディングしながら、北坂さんと森さんのコンビは作り上げていったのです。

北坂たまごの直売所。お客さまがひっきりなしに訪れていた。

直売所横の小屋では、産み立ての卵を採ってお土産にできる。

前を向いていない、楽しめていない、そんな自分を悔しく思ったことが分岐点

 デザインの持つ力に驚き始めていた北坂さんでしたが、当初は分からないことばかりでした。
「これから養鶏場をどうしていきたいのですか?」「大切にしていることは何ですか?」「その仕事ってどんな時に楽しいのですか?」。森さんは、ブランディングしていくための基本的な質問をいくつも投げかけました。
 でも、北坂さんには、その理由が分かりません。

「仕事なんて楽しくないよ、大人は働かなアカンねん」

 当時、北坂さんは30代半ば。森さんは20代半ば。働き始めて15年ほど経ち、受け入れるしかなかった心境を、半ば悟ったような表情で若い人に伝えていたわけです。
 でも、北坂さんは、同時に悔しいとも感じていました。

「あんな答えしかできない自分にがっかりしました。だから、一生懸命、彼に聞かれたことに対する答えを考えました。いま思えば彼は、北坂養鶏場が二代かけて築き上げたものから、焦っていた私が集めてきた即席の価値観まで、きちんと整理して戸棚に収めてくれたのだと思います」

父親が残した養鶏場に加えて、大阪営業所や直売所など業務拡大を続ける北坂さん。

 どうすれば売れるのか。答えを求めて入った商工会。さまざまなセミナーにも参加し、イベントにも出展をしました。でも、明確な答えには辿りつけずにいたのです。
「シマトワークス」の富田さんや、「淡路島アートセンター」のやまぐちさんに出会ったのは、その頃のこと。北坂さんは、やがてデザイナーやアーティストたちが集まる場にも顔を出すようになっていきました。

 次の「悔しい」をくれたのは、まさにそのアーティストでした。イベントに卵を配達しに行った先で出会ったのは、友人の現代アート作家。買い物袋をテープでつないで大きなバルーンをつくり、扇風機で風を送り込んで、子どもたちに中で遊んでもらう作品を展示していたそうです。

「彼はすごく楽しそうにバルーンの活動をしていました。家族も一緒になって。一方、私は地に足が付いた仕事をしているので食べるお金の心配はないけれど、楽しくもない。家族を笑顔にもしていない。とてつもない敗北感がありました」

 東京の建築設計事務所を辞めて、「淡路はたらくカタチ研究島」をつくると移住してきた富田さんに対しても、知り合った当初は同じ感情を抱きました。「今月はお金がピンチだ!」と言っているのに、すごく楽しそうな表情だったからです。

 もやもやは増えていく一方でしたが、さまざまな情報を得るためのアンテナが大きく育ち、変化が起こる一歩手前まで来ていることを、当時の北坂さん自身は知る由もないのでした。

自分に興味を持ってもらえるという体験から生まれた積極性と活路

「もっと人生や仕事にわくわくしたい」と考える人たちに、さまざまな学びの場を与えてきた「淡路はたらくカタチ研究島」と「ハタラボ島協同組合」。もちろん、北坂さんもさまざまな研修や講義に参加しました。

 知識や体験を得たことはもちろんですが、最も大きかったことは、人とのつながりが密になったこと。
 知り合いが増えていくごとに、養鶏場を訪れる人が目に見えて増えてきたのです。

「来てくれても何がおもしろいのか、最初は分かりませんでした。掃除しても次々と汚れは生まれてきますし、においもありますから。でも、来た人はみんな笑顔になって帰っていく。だんだん、『今度、行ってもいい?』と言ってくれる人が増えてきて」

 自分が必要とされる。社会から必要とされる。それは、北坂さんが仕事を通じて始めて得た、生きているという実感だったといいます。
 気付くと、「養鶏場や卵を使って、どうすれば来た人にもっと喜んでもらえるのか」を真剣に考えている自分がいました。

「それまでは、下を向いて生きてきました。だから、島外にあって島にないものしか見えていなかった。でも、ふと顔を上げてみると、真逆の視点があったのです。都会になくて島にあるものが、やっと見えてきた」

 島に「ある」ものを目指して、みんなが来てくれる。
 そう思うと、島の夕陽も、そこら中に広がる自然も、「当たり前のもの」から、「ありがたいもの」へと変化していくのでした。
 もちろん、養鶏業や卵に対しても、見え方がガラリと変わりました。

「やっと気付いたのです。私は何かのせいばかりにしてきた。父が亡くなったから大変になった。時間がないから、お金がないから、できない。言い訳のタネはいくらでも転がっています。前を向いて、そんなタネを拾わないことにしたのです」

殻を割ると中からプリンが。北坂たまごの「たまごまるごとプリン」。

夕陽も淡路島西部の特産品。これを見に、本州から多くの人が訪れる。

基本と強みに変化なし。でも、360度方向転換したら、人生が変化した

 言い訳を捨てた北坂さんが決めたこと。それは、「やりたいことができたら、すぐにやってみよう」という行動原則でした。たとえできなくても、誰かに頼んで手伝ってもらう。次々と行動に移したところ、ほとんどのことで予想以上の反響が返ってきたそうです。

 今の自分に辿り着くまでに、さまざまな人と出会いました。どうやったらそうなれるのだろうと思い悩んだ日々もあったそうです。その答えをくれたのは、なんと奥さんでした。
 誰かと会う度に「すごい人がいた」と報告する夫に対する、妻からの期待だったのです。

「あなたも人に教えられるようになったらいいんじゃない?」

 そのひとことがきっかけとなり、北坂さんは、よりアウトプットを意識するようになりました。誰かに感動を手渡すということを考えるほどに、言動が「マネ」から「自分なり」のものへと変化していったのです。

 

「私の一番の強みは、養鶏です。このことにずっと変化はありません。ただ、私の視点が360度変わっただけ。つまり、いろいろ経験して元の場所に戻ってきたら、見え方が全然違っていたということです」

 さまざまな経験を与え合う「人」との出会いが、機会を生んでいく。歩み方は人それぞれでも、思いと環境があれば、働き方は変わり、おのずと人生そのものが変わっていく。
 今日も淡路島では、たくさんの人たちが「新しい明日」に向かって歩んでいます。

「視点を360度変えたことで、人生が変わった」と話す、北坂さん。


■ 北坂勝(きたさか・まさる)

淡路島生まれ・在住の養鶏家。実家で経営する養鶏場を手伝いながら、2006年に「株式会社北坂たまご」を設立、たまごの加工販売を始める。同年に養鶏の経営も引き継ぐ。淡路島で「日本の鶏」を育て、直売所・見学会・イベント等による人との繋がりを通し、島の内外に「この土地でしかできない価値」を伝えていくことを目標としている。

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