明日をつくるつながり

国分寺

国分寺赤米プロジェクト

国分寺で新たな「文化」が根付いてくれたら。農業初心者のカフェスタッフが米づくりに挑戦した理由

 国分寺のカフェ「胡桃堂喫茶店」店主の影山知明さんと一緒に働いているスタッフの中に、現在は店頭に立たず、お米づくり・野菜づくりを行っている方がいます。
 物腰が柔らかで、誰にでも気さくに話しかけ、周りの人から愛される坂本浩史朗さん。現在は国分寺の固定種である「武蔵国分寺種赤米」づくりに励みながら、国分寺を盛り上げようとしています。

 この日、実際に田んぼを訪れて驚かされたのは、少々乱雑に生えているようにも見える稲の生命力です。普通私たちが想像する、整然と等間隔に植えられている水田とはかなり様子が異なっていました。
 坂本さんは一般的な土を耕す農法ではなく、自然な状態になるべく近いまま作物を育てる「自然農法(不耕起栽培)」を実践しています。数日前に植え付けたという稲と、去年のこぼれ種が自生した稲、そして雑草がわさわさと生い茂っています。

 農業に詳しい知り合いもおらず、田んぼもないゼロの状態から「国分寺赤米プロジェクト」として赤米づくりをスタートさせた坂本さん。その活動は到底1人で成り立つものではなく、周囲の方々の支えがあったからこそ実現したといいます。
 坂本さんが国分寺で、そして自然農法で赤米や野菜づくりをする理由や、赤米を収穫するまでのお話を伺うと、そこには大切なメッセージがいくつも隠されていました。

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田んぼには多くの苗が力強く根付いており、周りには雑草も見える。

国分寺で見つかった「古代赤米」。国分寺で失われた稲作の復活。

 坂本さんの赤米づくりへの挑戦が始まったのは2018年。坂本さん1人では限度があるため協力者を募ったところ、合計で40人以上の有志が手伝ってくれたそう。参加してくれた人には国分寺の地域通貨「ぶんじ」に感謝のメッセージを書いて渡したり、収穫した赤米も分配したりしたそうです。

 坂本さんが育てているのは馴染みのある白米ではなく、古代米の一種である「武蔵国分寺種赤米」。その種もみが見つかったのは、国分寺の恋ケ窪でした。地域通貨「ぶんじ」をきっかけに、恋ヶ窪に暮らす人たちとの縁も深まっていた最中、地域を盛り上げるにも、赤米はとてもいいものになるのではないかと思ったそうです。

 そして、坂本さんが取り入れている農法は「自然農法」。
「耕して土がむき出しになってしまっているというのは本来、不自然ですよね。自然界では、土は裸の状態ではないわけですから」
 土に生きる草や虫、微生物などにとっては、耕した土は隠れる場所もなく砂漠であるのと同じ状態になってしまうのだといいます。
「一般的な慣行農法より手間暇がかかって大変だとしても、自然農法で作られた作物の方が人の体や環境にとっても良いもの、優しいものであると思います」

 田植え前に草を刈って綺麗にしたにもかかわらず、田んぼには去年こぼれ落ちた種から再び稲の芽が出てきており、パッと見ると荒れている状態にも見えます。
 本来ならまず白米に、しかも育て方も確立した農法で挑戦したほうが農業初心者には良いのではないか、そう思ってしまいますが、坂本さんの考えは違いました。

「国分寺は地産地消のバランスのとれている街だと思っていますが、農業は基本的に野菜を販売してお金に換えなければならないので、大きな枠だと一般的な慣行農法はどうしても大量生産・大量消費・大量廃棄の方向になってしまいます。機材を入れるためにも土地は広い必要があり、土も耕すし、燃料も必要ですのでお金もかかります。でもだからこそ、少ない労働力でも安く、大量につくることができる。それに対して自然農法は大量生産はできないし、身体への負担は大きいかもしれないけれど、食べる人にも環境にも人間以外の動植物にも優しいと思う。農『業』というよりは、農的な暮らしや在り方をカフェスタッフとして、一国分寺市民として、僕や関わってくださる人たちが取り入れられたらよいと思っていますし、その上で経済的にも自立できる道を模索していきたいと考えています。白米ではなく赤米をつくろうと決めたのは国分寺(恋ヶ窪)で見つかったという必然性を感じたのと、白米に混ぜ込んで雑穀のようにして食べるものとしての立ち位置であれば小さな面積での少量生産でも白米より可能性を感じたからです。そこを手間暇かけて認めてもらえるものにできたらいいなと思っています」

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古代種は背が高く、中には160〜180cmまで成長する稲もあるという。

国分寺で数々の出会いと縁に恵まれたのは胡桃堂喫茶店のスタッフであることで街の様々な人と関わることができたから。

 国分寺にやって来る前、千葉県松戸市に暮らしていた坂本さんは、友人に誘われてクルミドコーヒーに来る機会がありました。その後、お店で開催されている「朝モヤ」(お店で開催している哲学対話のイベント)に参加してみたところ、その内容をとても気に入り、それ以来毎回片道1時間以上かけて「朝モヤ」に通っていたそうです。そして偶然にも影山さんが携わったシェアハウスが松戸にあったことから、そこで朝モヤを一緒に運営する流れになり、坂本さんも進行役として活動に加わるようになりました。

 当時、将来カフェをやってみたいなと考えていた坂本さんは影山さんに働かせてほしいと直談判。2017年よりカフェスタッフに加わり、3月27日にオープンした胡桃堂喫茶店の立ち上げから携わりました。その後、個人面談を経て「田んぼでお米づくりをしたい」という意見を採用してもらい、2018年からお米づくりに挑戦します。場所探しなども含めて、農業知識、スキル0からのスタートです。

「国分寺赤米プロジェクトに多くの人が力を貸してくださるのは、もちろん活動への共感もあると思いますが、お店での日々の営業やイベントを通じた、街の人たちとの長年にわたる関係性があったからこそ。あとは僕のキャラですかね(笑)。
 国分寺でなければ、胡桃堂喫茶店のスタッフでなければ、影山さんと一緒に取り組めていなければ、今のようにはなっていないと思います」

 はじめて赤米づくりに挑戦した2018年の収穫量は、大小3か所の田畑の種もみを合わせて80キロ、玄米にすると60キロ(一俵)。500平米で栽培した2018年に比べ、2019年は3倍の面積である大小6か所(国分寺での陸稲3か所、小金井・国立・北杜市での水稲3か所)1,600平米で米づくりを行っています。
 現在は、酒造会社の協力を得て、赤米を使った酒造りにも動いています。また、このプロジェクトを継続的に持続可能なものとするためにも、赤米を使ったお菓子などを開発し、国分寺の名物に育てていけたらと考えているそうです。

 国分寺では現在、市内の全小学校の5年生が、バケツ稲として白米を育てることを授業に取り入れています。その中でも国分寺市立第四小学校では、今年はそのバケツ稲の授業で国分寺の赤米を育ててくれているそうです。

「いずれは市内の小学校すべてで赤米のバケツ稲に取り組んでもらえることになったら、国分寺ならではの文化が根付いていく一つになるのではないでしょうか。小さくとも自分で農作物を育てられたという体験は、食料はスーパーで買うだけのものではなくて、自分でも生産できるものなんだと気づいてもらえるきっかけになるのではないかと思います。だから、子どもたちだけでなく、大人のみなさんも一緒にやれるといいですね。国分寺の人たちは一家に一バケツ、毎年赤米のバケツ稲を育てているみたいな風習になったら素敵じゃないですか?新年にはそのお米で赤飯を炊く。もともと赤米は赤飯のルーツでハレの日のおめでたいお米です。今年は僕の知る限りで100名近くの人のもとに赤米の種もみがいきわたっています」

 また、坂本さんはこのバケツ稲を通して、子どもたちの将来の選択肢が増えるのではないかと考えているそうです。

「学校を卒業して社会に出たときに、会社に勤めてお金を稼ぐ道もあるし、自給自足をしていく(できる)道もある。半分ずつでもいけるみたいな、そこに幅があってもいいのではないかと思います。いつのまにかお金のために働くようになってしまって、お金なしでは生きられないっていうのはやっぱり息苦しい気がします。それには、教育の段階でそういったことを学べることも大事だろうし、そういう風に生きていける場所との出会いの機会も必要になってくるでしょうけど」

 坂本さんが「農」に関わるようになってからの実感として、「僕はどちらかというとお金がなくても、お金のために働かなくても、生きていける世の中がいいなと思っているので、自給自足にはとても関心があるのですが、完全な自給自足はレベルが高く、すぐには難しいですね」と、現在の社会でそれを実現する難しさも語ってくれました。

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昨年の種もみが自生したもの、今年植えたものが生い茂る田んぼ。

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住宅に囲まれた土地で赤米づくりを行う坂本さん。

ひとりではできない仕事だからこそ、助けてもらう。その分、自分も返していきたい

 坂本さんは国分寺赤米プロジェクトを実行する上で5つのテーマを掲げており、「種を守る」「水田の復活」「自然農であること」「感謝と祈りの精神」「小さな生産者になろう」というもの。

「『小さな生産者になろう」は、多くの人が、お米がどうやって生産されているのかも知らず、消費のみをする現状から、少しでも生産する側にまわってもらえないかという思い。そうした経験を通じて、食の安全性への関心も高まり、生産者の方の気持ちにも寄り添えると思うんです。食べたもので僕らの身体や心はできていると僕は思っているので、普段口に入れているものに、もっと意識が向かっていいと思うんです。子どもたちに『米粒を残しちゃだめだよ』って言うだけでは、なんでだめなのかが伝わらないですよね。小学生でバケツ稲などを経験すれば、一粒のありがたみの感じ方も変わってくるはず。大きくなった時に『そういえば小学生の時にバケツでお米を作ったなぁ。赤いお米だったなぁ』と記憶に残って、思い出してくれるかもしれない」

 国分寺に暮らす坂本さんは、その地域性について「新しい活動を始める時に、受け入れられやすい土壌がある」と語ります。

「すべてがそうじゃないにしても、それぞれがほどよい距離感で、お互いの活動を応援し合っていたり、ときには切磋琢磨したりしている。主観ですが、国分寺は人との関係性がよく、とても住みやすい街。治安も街の雰囲気もよくて、時々平和ボケしちゃうんじゃないかと個人的には感じますね(笑)」

 農業未経験で米づくりを行うことは相当な労力も時間もかかり、大変な作業のように思えます。それでも坂本さんが米づくりを行うモチベーションを尋ねると、「影山さんが僕を信じて、すべてを任せてくれたので、それに応えたい気持ちはありますね」と語ります。
 影山さんは「植物が育つように、お店や人が集まる場が自然と育って樹形をなしていき、一人一人のいのちが大切にされる経済や社会をつくっていけたら」と著書『続・ゆっくり、いそげ』でも記していますが、坂本さんは「人が集まる場所」を突き詰めると「暮らしや文化」だと考えているそう。
「僕は文化をつくりたい。例えば、小学生や街のみんながバケツ稲で赤米を毎年つくったり、国分寺赤米プロジェクトでも毎年赤米をつくる。赤米づくりに季節を感じる。稲穂の風景に懐かしさを感じる。新年やおめでたいときに赤飯を食べる。赤米のお酒やビールで乾杯する。そうやって少しづつ広がって文化として根付いていくといいなと思うんです」

 今後の人と人のつながりのあり方について坂本さんに尋ねると、「もっとみんなが暇になって、想像力を働かせられる時間と心の余裕が持てたらいいと思う」と答えてくださいました。現代人は仕事や目の前のことに追われがちで、向き合わなければいけない問題に頭をさく余裕も、時間もないのが実情。

「(自分も含めて)自分と違う人や、興味のあること以外にも目を向け、他者や人間以外の生きとし生けるもの、地球や目に見えないものへも想像力を持っていけたら色んなことが気持ちよくなっていく気がする」と、坂本さんは話します。

「僕は目の前の人や出来事と自分なりに大事に向き合って、掛け算を狙うのではなく足し算で地道にやっていきたいなと思います。周りの人に助けてもらう分、自分も相手を助けられる人間にならないとと思っています」

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坂本さんは「お金ではなく、助け合いで世の中が回ってほしい」と語る。

 「ぶんじ」をきっかけにたまたま出会った人々が、自分という存在のまま多種多様な人たちと笑い合っている。その姿を見て、私たちも多くのことを教えてもらったような気がします。

「自分と違う価値観を受け入れる」ことは、決して簡単ではない。だからこそ人間は、価値観の違う者同士での公平なやりとりを可能にするために「貨幣」を発明したのかもしれません。しかし、時に私たちはその価値に振り回され、他にもたくさんあるはずの大切なものを見失ってしまうことがあります。

 貨幣とはあくまで道具であり、人々の「金銭的価値」という認識のもとに価値が与えられているもの。地域通貨「ぶんじ」の場合、その貨幣の価値をつくる共通認識は、「感謝を伝えるためのもの」なのではないでしょうか。
 使う人によってまったく違う「感謝の言葉」が、ぶんじに刻まれて人から人へと循環している。国分寺という地域で育まれた「つながり」は、きっとこれからも続いてゆくのだと思います。

坂本 浩史朗(さかもと・こうしろう)

1986年岐阜県土岐市生まれ。大学卒業後、名古屋での広告代理店の営業マンを経て、2015年2月、千葉(松戸)で個人事業の物販業を行っていた時に、クルミドコーヒー店主の影山に出逢う。2016年から哲学カフェのような場「クルミドの朝モヤ」の進行役をはじめる。2017年、胡桃堂喫茶店の立上げスタッフとして株式会社フェスティナレンテに入社。2018年より現「国分寺赤米プロジェクト」を立ち上げ取り組み中。影山が主催する「クルミド大学」の1つのカレッジの中で、国分寺で仲間と皆給皆足して、都市部で半自給できる学びの場を創りたいと考えている。

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