明日をつくるつながり

国分寺

地域通貨ぶんじ

人と人がつながるコツは、ギブの気持ちで向き合うこと。地域通貨「ぶんじ」を通じた地域との関わり方とは

 地域通貨とは、特定の地域やコミュニティで限定的に流通する通貨のこと。多くはまちおこし/地域経済活性化のため、様々な地域で導入が試みられましたが、実際には継続が難しく、そのほとんどは緩やかに姿を消してゆきました。

 そんな中、2012年に東京の国分寺で生まれた地域通貨「ぶんじ」は、どうやら今でも続いており、むしろ市内外で少しずつ活動が盛り上がっている様子。そのぶんじを運営する中心メンバーの一人が、国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」と「胡桃堂喫茶店」の店主である影山知明さんです。

 ぶんじは、単なる日本円の代わりに使われているのではなく、そのやりとりを通じて相手の仕事への感謝が生まれ、その思いを伝える役割を担っているのだとか。たくさんの人への感謝のメッセージが込められた実際のぶんじを手にすると、今までそのぶんじが渡ってきた関わりの軌跡を見ることができました。

 「ぶんじ」を使用する上での約束事は、渡す際にその裏面の吹き出しにメッセージを書くこと。相手がしてくれた仕事を想像して、感謝の気持ちを表明して渡す。そういった使い方を経験することで、ぶんじを離れたところでもお金の使い方が変わってくるといいます。

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ぶんじの裏には、感謝のメッセージがびっしりと書かれている。

地域通貨「ぶんじ」は、一人一人の「どんなまちにしたいか」を持ち寄る場

 「ぶんじ」の取組みが始まったのは、2012年の9月。まちのお祭りをより盛り上げるための仕掛けとして、地域通貨を取り入れる案が浮上しました。最初は期間限定で実施する想定でもあったそうですが、やってみたところ課題もありながら手ごたえも感じ、その後も続けてみようということになったそうです。気がつけば7年(※2019年9月時点)、続いてきています。

「もともとの発想は『お楽しみ券』です。地域通貨の社会的意義など、もちろん考えはしますが、あまりに頭でっかちなものでは続かない。ちょっとしたときに友人同士でのメッセージカードとして使えたり、お店で使えたり、ときにはぶんじを使ったゲームをしたり。ぶんじが1枚名刺入れに入っていたほうがまちでの暮らしが楽しくなるのだとしたら、それは日本円にはない価値ですよね」

 他の地域通貨の事例では、商店街活性化など即効的なメリットをアピールすることで、加盟店舗を増やそうとすることも多いのだとか。

「商店街活性化以外でも、森を守ろうだったり、ボランティア推進だったり子どもが元気に育つ環境づくりのためだったり、地域通貨の導入には特定のテーマが設定されることが多いですね。その方が賛同者が集まりやすいとうことはあると思います。でもテーマを特定的にするということは、興味をもって参加する人を限ってしまうという面もあります。そして、『国分寺がどんなまちになったらいいと思うか』というイメージをみんなで出し合いながら育てていく、そのやり取り自体にも大きな意味があるなあと。なのでテーマを一つにしぼるということはしませんでした」

 ただ、即効性があるわけでもなく、目的もはっきりしない地域通貨「ぶんじ」は、参加者がなかなか増えず、盛り上がっているとはいいがたい状況が続きます。ただその状況に転機が訪れたのが2018年。

「この年から、初めて『事務局』という仕組みを導入しました。『みんなの持ち寄りでつくる』というのがぶんじのスピリットだったので、それまで特定の人で事務局を構成することには少し抵抗もあったのですが、そうした中、お金の管理やウェブサイトの更新、問い合わせ対応など、一部の人に負荷が偏り、その結果、うまくまわらない状況も生まれていました。できれば、誰もが自由にのびのびと活動できるといいなと思うんですが、そのためにも最低限の交通整理ができていないと、いらないストレスの元になりかねません。この1年でそのあたりが改善したことで、一人一人が思い思いにアイデアを形にし、それらのまわりに仲間が増えていきました。もともと国分寺には、そういった創造的な想像力(ファンタジー)をもった人がたくさんいたんです」

 この1年で始まった具体的な活動の一つが「ぶんじ食堂」です。まちのいろんな場所で、みんなの持ち寄りでつくる、地域通貨だけでも食べられる食堂。1年間で30回以上も開催されたそうです。影山さんの取材後、実際にぶんじ食堂に参加してみると、地域通貨「ぶんじ」によって生まれる人と人とのつながりを見ることができました。

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クルミドコーヒーと胡桃堂喫茶店では、代金の全額をぶんじで支払うこともできる。

ギブからはじめて、他人と共に自由に生きる

 カフェを10年以上経営してきた影山さんは、お店は飲食店であると同時に、人を受け止める場所でもあるとも言います。

「カフェや喫茶店って、そこに来て時間を過ごすと、来た時よりも帰りの方がちょっと元気になっているっていうことがあったりしますよね。特にクルミドコーヒーや胡桃堂喫茶店は、元気がない時とか、ちょっとうまくいかないことがあった時とかに立ち寄りたいと思ってもらえる場所になったらいいなって思っています。そういう人間の痛みや弱さみたいなものを受け止めてもらえる場所が、今の世の中にはあまりになさすぎるから」

 週末の朝には、コーヒー片手に哲学的なテーマについて議論するイベント「朝モヤ」が開催されています。そこでは、参加者がそれぞれ、自分がモヤモヤしていること、他の人の意見を聞いてみたいことなどを疑問として投げかけ、それらの中から、その日話し合うテーマを参加者間で決めていきます。会には進行役となる人がいて、影山さんもその一人。10〜20人の意見ややり取りをまとめるのは大変なことですが、注意しないといけないのが参加者を「みんな」と捉えないこと。

「『みんな』は参加者を集合体としてしか見ていない、危険な言葉だと思っています。20人の『みんな』がいるわけではなくて、個々の人がいてこその20人なんですよね」 

 一人一人の参加者と、一対一で関わっている感覚なのだという影山さん。誰しもそうした関わりだからこそ、自分の存在を受け止めてもらえている感覚となり、素の自分を取り戻すことができるのかもしれません。
 互いに干渉しない、必要以上に立ち入らないという世の風潮もあるように思いますが、うまく関わり、お互いの前向きな重なりをつくれるようになると、1人ではできなかったことが2人だからこそできるということもあるでしょう。それぞれの自由を尊重し合いながらの「他人と共に自由に生きる」道があるのだといいます。

「自分の利益にしか関心がなかったり、自己中心的に考えてしまったりしていると、目の前の一人一人は『利用する(テイク)』対象になってしまいます。そうすると相手も防衛的になり、リターン目当てで関わったりするようになる。こういう関係を続けていくと、奪い奪われで消耗しますから、人と付き合うことが嫌になります。ところが、目の前の一人一人にどうやったら力になれるかと、『支援する(ギブ)』姿勢で関わるようになると、相手もちゃんと返してくれることに気が付く。そしてこうした関わりの方がよっぽど生産的だし、気持ちがよく、長く続くものになります」

 そんなギブによって生まれる関係性は、国分寺の農業にも影響しています。最近ではスタッフである坂本さんがまちと関わりながらお米づくりを始めたそう。ゼロから始めて、昨年は種もみにして80キロ分の収穫があったとか。

「お米づくりは本当に大変で、土づくりも田植えも1人ではできない。ただ、自分たちの損得だけでなく、自然とともに生きるまちの文化を育てたいのだというぼくらの姿勢を分かってもらえたとき、一緒にやってもいいよと手を挙げてくださる方が現れました。今は20人くらいの方と一緒になって、お米づくりに取り組んでいます。そうして受け取ったギブに対して、ぼくらがどうお返しをできるのか考える日々。こんな風にして、まちの中の前向きな重なりは育っていくんだろうと思います」

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取材でうかがった胡桃堂喫茶店には、おだやかな空気が流れる。

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卓上に置かれる伝票には、一つ一つ手作りのくるみのマグネットが添えられる。

誰も一人では生きられない

 影山さんのお店にあるメニューには写真が載っていません。写真を掲載した方が「美味しそう、食べてみたい」とお客さんの気持ちが動きそうにも思いますが、影山さんは、情報が足りないからこそ働く想像力もあるのではないかといいます。

「メニューに写真がないからこそ、どんなメニューだろうと想像しないといけなくなります。中にはお店のスタッフに質問してくれる人もいるかもしれない。出てきてみたら、想像していたものと違っていて、驚く人だっているかもしれない。そういった一つ一つが、ぼくらにとってのお客さんとの関わる余地でもあります。そういうのが面倒くさいという人がいるのも分かるし、そういうときにはチェーン店に行ってもらえればいい。ぼくだって行くこともあります。でも一方で、『一緒になって時間をつくった』ことで得られる満足感だってある。世の中じゅうが自動販売機みたいになっていく中、ぼくらのようなお店に存在意義があるのだとすれば、そういうところなんではないかと思うんです」

 影山さんの好きな言葉の一つが、「自力本願、他力本願」。他力本願というと、他の人を頼ってばかりといったネガティブなニュアンスで使われることもありますが、本当は仏教由来の深い言葉。

「それって、自分一人でなんでもできると思うなという戒めの言葉だと思うんです。あるいは、自分の弱いところ、足りないところは、他の人を頼ったっていいんだよという赦しの言葉でもある。自力本願を尽くすこともそれはそれで大事だけれど、誰しも一人だけで生きているわけではないし、生きていけるわけでもない。自分を取り戻すことと、まわりの他者と前向きに関わり直すこと。そういうことって、意外にカフェみたいな場からこそ、始めていけることなんじゃないかって思っています」

 影山さんのお店には、今日も穏やかな空気が流れています。

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相手と1対1で向き合い「自分の言葉を取り戻してほしい」と語る影山さん。

影山 知明(かげやま・ともあき)

1973年、東京都国分寺市生まれ、愛知県岡崎市育ち。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立(2008年)。 2002年、ミュージックセキュリティーズに取締役として参画(現職)。2005年にはNPOコレクティブハウジング社理事に就任。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設、その一階に「クルミドコーヒー」を開業。2017年にはとなり駅の国分寺に2店舗目となる『胡桃堂喫茶店』をオープンさせ、飲食業だけでなく出版業や書店業、哲学カフェ、地域通貨などにも取り組んでいる。著書に、『ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房)、『続・ゆっくり、いそげ』(クルミド出版)。

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