明日をつくるつながり|国分寺
東京農村

FEATURE | 明日をつくるつながり | 国分寺

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地域通貨によって関係が生まれていく。ぶんじ×農業の異色コラボが生み出した相乗効果

 国分寺の地域通貨「ぶんじ」が使われているのは、飲食店のみではありません。農家がお店に野菜を卸す際にその対価の一部がぶんじで支払われたり、人手不足に悩む農家を手伝う援農ボランティアの方に対して感謝の気持ちをぶんじで伝えたり、ぶんじは農家と街の人をつなぐ役割も担っています。

 この日は「ぶんじ食堂」にてお会いした国分寺中村農園の中村克之さんにお誘いいただき、中村さんが携わる「東京農村」の1周年のイベントにお邪魔しました。
「東京農村」は、東京の農業に関わる人たちが集まる多目的複合ビル。その日、たまたまシェアオフィスにいらっしゃったのは、ぶんじの立ち上げに携わった間宮俊賢さん、そして農業デザイナーの南部良太さん。お二方ともぶんじが誕生する以前から、国分寺という地域に深く関わってきた方なんだとか。
 3人にお話をうかがうと、ぶんじがどのように農家とつながるようになったのか、農家の方にとってぶんじが持つ価値についてが見えてきました。

 みなさんが口を揃えておっしゃったのが、「ぶんじによってつながりが生まれた」ということ。ぶんじと農業が一体どのように関わり、つながりが生まれていったのでしょうか。

ぶんじ創設時の思い出を語る間宮さん。この日はコワーキングスペースで作業をされていた。

町の財産を共有したい。コミュニケーション重視のツールとしてぶんじが誕生

 間宮さんは以前から、地域通貨に関するイベントを主催する立場として、国分寺のカフェスローでワークショップなどを行っていました。2006年頃からは勤務もされていたそうです。2001年オープンのカフェスローは、オーガニックやフェアトレードなどロハスの考え方を早い時期から取り入れており、ぶんじも発足時から関わっています。2000年代初頭に地域通貨が新聞やテレビなどで取り上げられブームが起こっていたことから、お店でも地域通貨を取り入れた運営を目指していろいろ試行錯誤してきたそう。
 一躍ブームとなった地域通貨も、数年後にはだんだんと下火になっていきました。そんな逆風の時代でも、国分寺には地域通貨に高い関心を持った方が多く、そんな人たちが後にぶんじ誕生のキーパーソンになったといいます。

 その後、国分寺では街の面白い人や場所を見える化し、街の宝物を再発見することを目的とした街の「ぶらぶらマップ」が誕生しました。
「マップの存在や国分寺のイベントが開催される流れの中で、街の資源や面白い人は"町全体の財産"として共有されるようになり、そうした基盤の中で"地域通貨をやりたい"という機運が生まれてきました」
 そしてぶらぶらマップが一つのルーツとなって、2011年にお祭り「ぶんぶんウォーク」が生まれ、そこで国分寺の地域通貨をやってみようとトライしたのが地域通貨「ぶんじ」の始まりだといいます。そこからカフェスローやクルミドコーヒーなどの飲食店も含む関係者たちで力を合わせ、この地域通貨を継続させていこうという話になったのです。

 ぶんじと農業が関わるようになったのは、ぶんじを運営するメンバーの中に「ぶんじと農業を絡めてみてはどうか」と提案した人がいて、その人が中村さんに連絡を取ったのがきっかけ。当時は国分寺の農家でホームページを持っていたのが中村さんのみだったことから、中村さんに連絡をしてみたのだといいます。

 中村さんは最初にぶんじの話を聞いた時の印象について、「カフェと農家、今までは異業種で知り合うこともなかったので驚きましたね。新鮮でおもしろかったです」と振り返りました。

 間宮さんによると、一度地域通貨が下火になってしまった理由として、各地の地域通貨間で横のつながりが薄く、課題の共有が充分に行われなかったことが挙げられるそう。
 特に大きな原因として、地域通貨の運用は自発的なボランティア活動であるにも関わらず、「通貨」としての責任を担保しようと頑張りすぎてしまったということが考えられます。結果、運営者たちはどんどん疲弊していき、継続が困難になっていったのです。
 そんな中、運営側がくたびれてしまわないためには、地域通貨をお金として厳密に管理しすぎず、むしろ「コミュニケーションツール」としての側面を重視したらいいのではないかという考えに至ったそうです。

 ぶんじには渡す時に必ずメッセージを書くルールがありますが、2012年の最初の発行の段階でそのルールは採用されており、今日まで続いているそうです。

南部さんは農家の方の力になりたいと思い、農業デザイナーという肩書きに。

地域通貨が循環して生まれた「つながり」

 その後中村さんも企画メンバーに入り、いろんな人が集まって地域通貨を使っての連携がどんどん進んでいきました。
「カフェスローやクルミドコーヒーがぶんじを受け入れていたので、流通せずにそこにぶんじが溜まってしまうと思ったんです。そこに農家が入ることで、仕入れの代金の一部をぶんじでお支払いただいたり、援農ボランティアの方への感謝をぶんじで伝えたりして、地域通貨が循環することになりました」

 なんでも国分寺市には「市民農業大学」という制度があり、そこで1年間勉強された方が援農ボランティアの資格を得られるのだとか。農業に関わるグラフィックデザインを手がける農業デザイナーの南部さんも1年間「市民農業大学」に通い、援農を通して農家の方とのつながりが生まれたといいます。
「農家さんを見ていると人手が足りなかったり、高齢者の方が多かったりする点が気になって、何かしらできないかなと思っていました」

 南部さんと中村さんの出会いは、中村さんの農家で行われたいちご摘み取りのイベント。そこにお客さんとして参加したことをきっかけに知り合い、中村さんはデザイナーである南部さんに自身の生産するいちごのパッケージデザインをお願いしたそうです。

「南部さんは一緒に畑を耕すところから関わってくれるので、手がけるデザインに魂が入っていると感じています。上っ面ではなく、デザインをする過程に物語があるんです」
 パッケージを変えたことで、なんと売り上げは3割増。そのつながりから、中村さんと南部さんは国分寺の野菜を国分寺の飲食店に使ってもらう取組み「こくベジ」のプロジェクトを進め、東京の農業をもっと発信することの必要性を感じ、現在の「東京農村」のコンセプトができたといいます。

 東京農村は、1階から3階に東京の野菜を使った飲食店が入っており、4階が農業や食に関わる仕事をしている方が利用できるシェアオフィスになっています。
「シェアキッチンも使えるので料理教室や懇親会、撮影で利用するなど、農と食が一緒になって発信できるような、いろんな広がりを持てる場でありたいです」と、南部さんは語ります。

東京農村ではこの日、1周年イベントとしてぬか漬けのワークショップを開催。

中村さんが作るトマトも販売されている。

今後農業に必要なのは、場の提供。それに気づいたのはぶんじが生んだ「つながり」

 中村さんにぶんじに関する印象的なお話をうかがうと、「実は、今年の3月下旬に両手を骨折してしまって......」と笑いながら、あるエピソードを披露。
 いちご農家が一番忙しい時に収穫作業ができずに困っていたところ、クルミドコーヒーの影山知明さんが率先して音頭を取り、手伝ってくれる方を募ってくれたのだとか。もちろん農作業ですから、観光の気分で楽しくできる作業ではありません。その見極めもしっかりした上で、募集の条件なども提示した結果、20人以上の方が日替わりで毎日のように手伝ってくださったといいます。 「これがぶんじの力。農家は一人で仕事をすることが多く孤立しがちですが、応援されているんだって思いました。地域の方に助けてもらいましたね」

 その経験から中村さんは農業に新しい可能性を感じ、東京で新鮮な美味しい野菜を食べられることを発信したり、都会の人たちが気軽な気持ちで土に触れられる機会を提供したりすることが、都市農業にしかできない機能ではないかと考えるようになりました。
「いちごの収穫作業を手伝ってくれた上に、『楽しかった、面白かった』って言ってくださった。僕らの役割はただ野菜を提供するだけじゃなくて、場を提供することなのかなと思います」

 東京農村を基地にして、自分たちがやっていることを発信していきたいと語る中村さん。今後は「農業を体験できる場」を作ることに力を入れていきたいそうで、農福連携の取組みも始めようとしているのだとか。ぶんじを通して人と人とのつながりが広がり、利害関係なく助け合い、農業の新しい可能性を発見できる。感謝の思いを伝えるぶんじは、さまざまな「つながり」を作る材料として価値があると言えそうです。

東京で農業を続けるうえで大切なことは「タスキをつなぐこと」と、中村さんは語る。


■ 中村 克之(なかむら・かつゆき)

1966年生まれ。国分寺中村農園/(株)ナヴィラ代表取締役 JA東京青壮年組織協議会理事。
商社系IT企業に18年勤務し、SE、事業企画、営業、経営企画等を経験。サラリーマン時代に農家の一人娘と結婚し、家業を継がない前提で婿養子となるも、子どもが出来て長女の衝撃的な一言で、2009年に就農。これまで両親が行ってきた東京うどや30種程度の野菜栽培に加え、イチゴやトマトの高設栽培を初める。地域通貨ぶんじでの飲食店の人々との出会いをきっかけに、地場野菜を市内の飲食店に提供する「こくベジ」事業への取組みに参加。更には東京農業の発信の場として2018年6月に東京・赤坂見附に「東京農村」を設立。

■ 間宮俊賢(まみや・としまさ)

77年・神奈川県出身。01年頃より地域通貨のマーケットやイベントを企画。02年エクアドルで森と共生する農法や現地の地域通貨に触れ影響を受け、06年より東京・国分寺「カフェスロー」店長、マネージャー。在職中にはカフェの運営に加え、在来作物がテーマのイベント「たねと食のおいしい祭」をはじめ多数の企画やブッキングを担当。国分寺の地域通貨「ぶんじ」立ち上げに参画。17年カフェスローを退職し独立、「次代の農と食をつくる会」「有機農業の日」等の運営や、各種イベント企画、プロデュースに従事。

■ 南部 良太(なんぶ・りょうた)

農業デザイナー。1984年生まれ、宮崎県日南市出身。国分寺市在住の2児の父親。
広告制作会社でグラフィックデザイナーとして勤務し、独立。子どもが生まれ国分寺に住みはじめ、周りに畑が多いことから農業に興味を持つ。 一般社団法人 M.U.R.A.代表理事。都市農業の可能性を探り、人とのつながり、そこから生まれてくるものを大切にしながら活動している。

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