HISTORY

創業から95年、
なぜ相互会社であり続けるのか。
生命保険に携わるということは、
どういうことなのかを考え、
創業の理念を守り、「ご契約者」を見つめ、
飽くなき挑戦を続けてきました。

守り続ける、大切なことがあるからこそ、
新たにできることがある。
すべての中心にある「ご契約者」を見つめ、
これからも歩み続けていきます。

1923

“保険事業はご契約者の事業”
相互組織による保険会社として誕生

1923年9月に起きた関東大震災によって、関東一円が壊滅的な被害を受ける中、同年11月22日に、現在のフコク生命の前身である「富国徴兵保険相互会社」が創業しました。
当時、創業に深く関わったのが、初代社長「根津 嘉一郎」(ねづ かいちろう)と第2代社長「吉田 義輝」(よしだ よしてる)です。保険外交員として活躍していた吉田 義輝が、「保険事業はご契約者の事業であり、会社はご契約者に代わって事業運営しているに過ぎない。だとすれば、株式組織では到底、ご契約者本位の徹底した経営はできないのではないか。」と考え、鉄道王と呼ばれていた根津 嘉一郎に、相互組織による新会社の設立を直訴します。その熱意に打たれた根津 嘉一郎の英断によって、フコク生命は徴兵保険会社では唯一かつ最初の相互会社として誕生しました。


根津 嘉一郎

吉田 義輝

1936

「ご契約者の利益擁護」と「社会への貢献」
創業以来変わらない経営理念

フコク生命は、一貫して相互組織の会社形態を守り続けてきた日本で唯一の保険会社です。その根本にあるのは、今も引き継がれている「ご契約者の利益擁護」と「社会への貢献」という経営理念です。保険事業は、人々のために、社会のために、国のために、誕生した公共性の高い事業であり、保険会社は、会社や株主の利益のために存在するのではなく、ご契約者のために存在すべきであると考えています。
相互組織による保険事業が世間から受け入れられ、創業から13年あまりで新契約高・保有契約高ともに徴兵保険業界第1位を獲得します。

1945

順調に成長を続ける中、終戦を迎えます。
戦争で莫大な被害を受けたフコク生命。第3代社長「小林 中」(こばやし あたる)は、300万人を超えるご契約者を守ることを優先します。戦後のインフレによる損失を処理するために、多くの保険会社が、一度解散し新たな会社として再出発する道を選びました。そうした中、フコク生命は相互組織を守ったままでの生命保険会社への転換を決定。「富国生命保険相互会社」として、300万人のご契約者とともに新たな一歩を踏み出しました。


小林中

1951

“最大たらんよりは最優たれ”
規模や量の追求を良しとせず、
質の向上を目指す

終戦からの数年は、保険会社にとって厳しい時代でした。悪性インフレにより生命保険はほとんどその価値を失い解約が続出。加えて、生命保険の信用失墜からくる保険需要の後退という厳しい環境の中、1951年4月、第4代社長に就任した「佐竹 次郎」(さたけ じろう)は、「会社の発展は良き人材の育成にあり」を信念に、規模や量の追求を良しとせず、質の向上を目指し、「最大たらんよりは最優たれ」の経営方針を打ち出しました。
働く職員の質と倫理を高めること、堅実経営を実践することが、「ご契約者の利益擁護」、「社会への貢献」を実現し、結果として会社の発展に繋がると考えたのです。


佐竹 次郎

1961

契約者配当金の自由化が認められ、
業界最高水準の配当を実施

1950年代半ばに日本経済は戦後復興を成し遂げ、1950年代後半になると、国民総生産は戦前の水準を上回り、所得が増えたことから国民の生活水準も上昇しました。個人所得の増加に伴い、生保各社の保有契約高も増加し、経営も安定するようになりました。それによって、1961年に契約者配当金の自由化が認められ、フコク生命は「保険はご契約者の利益を本位として経営されなければならない」という創業からの考えに従い、業界最高水準の配当を実施しました。

1968

1968年、小児がん対策費として「がんの子供を守る会」に毎年1億円ずつ、10年間で総額10億円を寄付することを決定しました。
これは、第5代社長「森 武臣」(もり たけとみ)が、ニュースで同会員が当時の厚生大臣にその窮状を訴えている姿を見て、経営理念である「社会への貢献」の観点から何とか援助できないものかと考えたのが、寄付に踏み切った理由です。1983年には、目標額である10億円を達成。これがきっかけとなって、小児がんに対する国の援助への動きにもつながりました。

1981

「最大たらんよりは最優たれ」の経営方針のもと、
「保有純増主義」を打ち出す

10%を超える解約失効率が課題となっていたフコク生命は、1981年、他社に先駆けて「保有純増主義」を打ち出します。ただやみくもに新規契約の獲得に力を入れるのではなく、お客さまに最適な契約をご提案し、ご契約後のサポートに力を入れる。量よりも質を求めることで、ご契約者の利益をお守りしました。その結果、解約失効率が業界で最低水準となりました。

1983

お客さまのニーズに応える
新商品を積極的に開発

お客さまのニーズに応える商品の開発に積極的に取り組みます。1983年には、国内生保では先駆けて医療保険を発売。以降は一貫して第三分野の保険商品(医療・がん・介護保険など)の開発・販売に注力しています。1992年には国内初となる高度先進医療特約を、2002年には同じく国内初となる移植医療特約を発売しました。

1991

バブル期も堅実経営を貫く

「ご契約者本位」という想いのもと創業したフコク生命は、バブル景気にあっても堅実経営を貫きます。不動産、株式などリスク性資産への投資を抑制し、バブル崩壊後も安定した経営を続けます。また、一時払養老保険については、本来の保険の目的からは逸脱したといえるような販売が伸びていることや資産の急膨張にリスクを感じ、多くの売上げが見込める状況下で販売を停止。当時ブームになっていた変額保険についても、「お客さまがリスクを理解することが難しい」と判断し、販売を見送りました。

2002

将来を見据えて、
金融機関窓販を推進

業界他社の反対論が多い中、より多くのお客さまとの接点を増やすため、2002年より地域密着型の信用金庫業界を中心に、金融機関窓販への取組みを開始しました。現在、生命保険業界において金融機関窓販は、大きなウェイトを占めるチャネルに成長しています。

2004

従来の枠組みを超えた、
生損一体型商品を販売

セコム損害保険株式会社との業務提携により、がん保険「自由診療保険メディコムプラス」(損害保険商品)と医療保険のセット商品を発売。第三分野商品を強化し、生きるための保障をさらに充実させました。

2008

“保有純増”から“お客さま基点”へ

2008年には「新経営宣言」を発表し、経営理念体系を再構築。「お客さま基点」を価値観とし、あらゆる企業活動の原点に据えました。「もし自分がお客さまだったら」を常に想像しながら、お客さまが心から安心できるであろう、フコク生命ならではのサービスや経験を創り出し、提供していく「お客さま基点」の実践そのものが最大の差別化となり、結果として、お客さま満足度の向上につながるものと考えています。

2010

徹底した差別化でお客さまから
最も評価される会社を目指す

2010年より中期経営計画(2010年度~2012年度)を策定し、「徹底した差別化でお客さまから最も評価される会社となる」というビジョンを掲げ、全社一丸となりアクションプランに取り組んでいます。「お客さま基点」の「浸透」「定着」「実践」と、3ヵ年毎にテーマを変更し、現在も引き続き取り組んでいます。

2013

業界初となる特約組立型の
「未来のとびら」を発売

従来商品よりもさらに保険設計の自由度を高め、お客さま一人ひとりのニーズにより柔軟に対応することを可能とした新しい主力商品「未来のとびら」を発売。「未来のとびら」では、主契約による保障を土台として、そこに各種特約の保障を追加していくという従来の商品体系を抜本的に見直し、主契約という概念をなくして特約同士の組合せにより保障内容を構築するという画期的な仕組みを取り入れました。

2016

業界初となる保障内容を盛り込んだ
新医療保険「医療大臣プレミアエイト」を発売

従来の保障内容をバージョンアップさせるとともに、8大生活習慣病による入院を支払日数無制限で保障するほか、8大生活習慣病の退院後療養や出産といった新たな概念の給付事由も盛り込んだ新型の医療保険「医療大臣プレミアエイト」を発売。

2018

2018年11月22日、創業95周年をスタートと位置付け、100周年プロジェクトを始動。100周年に向けたフコク生命像である「THE MUTUAL」というコンセプトのもと、100周年を迎えるまでの5年間でさまざまな人たちや価値観との出会いを通して、新しい時代の人と人とのつながり方を探し、次代の“相互扶助”を考えていきます。