Ambassador Interview

"感謝"という 人とのつながり方

「誰かのために、というエネルギーは
自分のために、を凌駕すると思います。」
THE MUTUAL アンバサダー 斎藤工

今や俳優という枠にとどまらず、フィルムメーカー、芸人、写真家など、豊かな表現で多彩な活動を展開している斎藤工さん。これまでのご自身の経験を通して、感性を培ったルーツ、もの作りへの向き合い方、人との結びつきについて話を伺った。そこに見えてくる実直さは、相手を思いやる "相互扶助の精神"にもとづいていた。

シュタイナー教育から得た、
水彩的に拡がる感度。

幼少の頃から、小学6年生の3学期に公立の小学校に転校するまではシュタイナー教育の学校に通っていました。シュタイナー教育とは、ルドルフ・シュタイナー(オーストリアやドイツで活動した思想家、哲学者)が提唱した「教育とは単に知識を与えるだけではなく、後々、子どもたちが自由意志によって行動できるような人間になるための補助である」という教育思想で、面白いのが、すべてが水彩的なんです。既存の色が無いので、色を作り、混ぜる、伸ばす。元々あるものをどうするか以上に、何かを融合して、自分で生み出していくという感覚です。

幼少期という感性が一番開かれている時期は、「挫折を知らない」という純粋さ故の鋭利さを持ち合わせています。擦りむいて、かさぶたができて、皮膚が分厚くなるということに近い経験をさせてもらえたことは、いま振り返ってみると、現在の自分にとって重要だったのかもしれません。大人になると、恥をかくことや、人前で評価されることだけではなく、目に見えない心のかさぶたを背負っていることに、時間が経ってから気が付くことがあります。自分のルーツは、精神的なことも含めて幼い頃に形成されていると思います。

映画館は魔法の箱。
好きが高じて、俳優の道へ。

父が映像制作の仕事をしていたので、会社の試写室にこっそり忍び込んであらゆる映画を観ていたことが、この業界に入るきっかけになりました。最初は映像を作る専門学校に行こうと思っていましたが、「現場に早く出た方がお前は向いている」と父に言われて、俳優業を志しました。
公開前の映画を観られる試写会は、配給会社の方や宣伝の方たちに、面白い映画や事情を教えてもらったり、人の入り具合を観察したり、その当時何者でもない自分にとっては道場のような場所でもありました。

学生時代に、今は無くなってしまった三軒茶屋の映画館や、マニアックな映画の上映をしているユーロスペースなどへ通っていたのですが、午前中に入ると、出る頃にはすっかり外の景色が夕暮れに変わっている。自分が映画に浸っていた時間と世の中の時間との差が、タイムスリップしたかのようで浦島太郎になった感覚に陥ってしまう。映画館は魔法の箱みたいな感じがして、とても好きでした。一日中観る場合は、お尻が痛くならないように小さな座布団を持参していました。今でも地方の地元に根付いた映画館に足を運ぶことがあります。別府のブルーバードという老舗劇場では、照さんという館長にお願いして映写室に入らせてもらったこともあるんです。室内には先代の館長である亡くなった旦那さんの写真が飾ってあって、そこから覗く客席は、ドラマチックでした。

映画館の魅力というのは、知り合いでも他人同士でも、時間や感覚を共有できるところでもあります。自宅で映画を観ると、自分のタイミングで一時停止できるし、ボリュームを調整したり、主導権を持てますけど、映画館の場合は、そうはいかない。作品の内容も含めてこちらから歩み寄らないと得られない感覚や、想像力が詰まっていると思います。お客さんや空間の気配や様々な状況によってもムードが変わるので、生き物のようです。自分が監督した作品『blank13』も、国によっても、劇場のコンディションによっても、お客さんのリアクションが全然違いますからね。

目下の試み。
そして、自分らしさとは。

俳優は、フレキシブルな職業だと思うので、どこまで許されるのだろうと探っているところがあります。人間、誰しも恥ずかしい思いをしたくないのは当然だと思うのですが、気がつくと恥をかくまいと心を閉ざしたり、恐怖心が芽生えてきます。色々なことに挑戦していくというのは、「これくらいでいいかな」という思いが根っこにある自分に対する戒めです。ある意味、客観的に自分に課しているのだと思います。以前、覆面して匿名で素性を明かさない芸人として『R1ぐらんぷり』にも出ましたが、審査員にもお客さんにも見向きもされず、地獄のような痺れる思いもしました。今まで自分が見てもらえていたのは、当たり前のように用意してくれた場所があってこそだったのだと思い知らされました。気力や体力、精神の筋肉みたいなものが明らかに無いことにも気づけました。10年後にはできないような、今しかない挑戦をこれからも優先的にしていきたいです。

自分の性格は、へそ曲がりというか、ややこしくて、あまのじゃくなんです。真ん中にはいないように生きてきた性質があるので、期待されると裏切りたくなるし、期待されないと頑張る。客観的に見ると、あまり好きなタイプではないので、どうしたら自分に興味を持てるかと追いやっています。自分自身に違和感と好奇心を持ち、どこかに悪意を潜ませている部分が自分にとって歪なところだと思います。丸でいようとすると、逆に不具合が起きてしまうので、人間の歪さを認めること。もともと人間はそんなに美しいものと仮定しない方が、僕はバランスを保てます。アンバランスな生き物だと自認するところが、悲しいかな、クリエイティビティになっているのかもしれません。

クリエイティブの源、仕事は人と人、感謝のつながり。

物を作る時に意識していることは、自分の身近な人に対して感覚的に届けること。同時に、遠くにいる人たちには、具体的に届けること。一番近くと一番遠くの人達に向けている方向性ですね。どちらかだけだと偏ってしまう気がしていて、宙ぶらりんにならないようにと思っています。
自分で何をするにしても、やはり必ず人ありきで、機動力も原動力も対ヒトから始まり対ヒトで終わる仕事だと思っています。僕は、その中に自分を通わせている。自分発・自分着だと、行動すら起こせていないことが多いです。
僕は映像を作る時に絵コンテが描けないので、写真とか音楽とかフレーズを足し算したイメージボードみたいな物を作るのですが、役者さんやスタッフの方々がどう捉えるか、本当に人それぞれで面白いです。もし、絵コンテを描けたら、技術的にはスムーズになるけれど、ひとりで完結してしまう。人の思考や視覚に委ねていくと、物事が多角的に広がっていくものだと感じました。それは、映像を作る側になって初めてわかったことです。監督として、現場を導けているという自信はありません。でも、みんながひとつの何かに向かっているという状況は、とても信用できる環境なのだと思います。人を信用していくと、作品のサイズ感や角度、色が増えていくのでしょうね。
俳優も、監督としても、作品をひとりで作るわけではないので、誰かの人生をお借りして、貴重な時間を自分と一緒に過ごしてもらっています。とても幸せなことです。
夜中や朝方まで撮影以外の時間も勤しんで作業してくださる方々の日常を、自分が奪っている気もします。それに対して、僕は何を恩返しできるか、苦楽をともにした作品をどのように良い方向へ転じていくか。あらゆる人々と関わることを意識することは、逃れられない性のような気がします。誰かのために、というエネルギーは、ひいては自分のためにということを凌駕すると思います。

「まさか」という場面に表れる、
リアルな人間の本質。

今日という日はもう二度と来ないという意識を持つと、1分でも10分でも得した気分になります。放っておくと、永遠に時間が続くと感じてしまうのですが、いかに今日1日を大切にして感謝できるかということを考えています。それは、当たり前のようにやってくる毎日のループに飲みこまれずに、限りある時間を自分に対して強調すること。自分に対することは、他者や周りに対することと同じだと思うので、時間や出会いをおざなりにしない。とても根本的なことかもしれませんが、逆算して、勿体無いという感情を自分に叩き込んで生きていきたいです。

実際に何度か死にそうになった経験もありますが、人間て意外と丈夫にできているのではないかな。でも、死にそうじゃなくても、「まさか」と思うことが起きるじゃないですか。普段どれだけ取り繕っていても、その予測できない何かが起きた時に、自分の本性がバレてしまう気がします。良くも悪くも、人間の本質が露わになるというか。それが自分で予想している姿と違ったりすると、悲しくなったりするのですが、その逆も然りで、こんな反応するんだなと思ったり。九死に一生じゃないですが、イレギュラーなことがあった時に、意外と"生"を実感するものなのかもしれません。

THE MUTUAL Ambassador

斎藤 工 Takumi Saitoh

1981年8月22日生まれ、東京都出身。A型。高校生の時からモデルとして活動し、2001年に俳優デビュー。2015年にエランドール賞受賞、第31回高崎映画祭『団地』で最優秀助演男優賞、待機作に日仏シンガポール合作の「家族のレシピ」「麻雀放浪記2020」(共に主演)等。近年では、初長編監督作品「blank 13」で第20回上海国際映画祭の「アジア新人賞部門」最優秀新人監督賞を日本人で初受賞するなど、俳優業に留まらずクリエイターとしても活躍中。